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自己紹介 同志社のさねぴー(仮)です。

全国の学生の、あるいは元学生の皆様こんにちは。同志社大学の4年生のさねぴー(仮)です。
当日は、京都の地よりデモに参加したいと思います。

同志社大学では、「ジャバスタ」というサークルをやっています。学内規制など学生生活にかかわる問題や、就活問題、奨学金問題などを主に扱うサークルです。
http://doshishayabasta.wordpress.com/


自己紹介もかねて、現状の奨学金制度への私の考えを述べたいと思います。

私自身は奨学金を借りていないのですが、奨学金を返さない人、あるいは返せない人について、かつては「借りたものは返すべきだ」との考えを持っていました。もちろん「借りたものは返す」これは一般的な常識であることは間違いありません。それに基づいて「奨学金を返さない=ダメなこと」と漠然と考えていました。そして、奨学金を返さない友人に向かって「なぜ返さないのか?」と議論を吹っ掛けたりしていました。

ある種、奨学金を借りているわけでもなく、学費に不自由していない私は、世間の学費・奨学金問題に対する世論と同じような考えを持っていました。「返さないといけないことは最初から分かっていたよね?なんで卒業してから文句を言うの?」と考えていたのです。

ですから、なぜこのデモに参加するに至ったかという私の内心的な理由には、「この問題に無関心な一般人にどのように訴えかけるべきか」という問題の解決へのヒントが含まれていると思うのです。

まず、ここ十年ほどで、大学の学費は漸進的に上昇しています。また、昔は同志社をはじめとする多くの大学に「夜間学部」があり、夜間部の学費は昼間部の約半分であり、働きながら大学に通いたいという熱意ある学生の受け皿となっていました。しかし、現在では夜間学部はほとんどの大学で姿を消し、学費も高騰し、働きながら大学に通うことができなくなってしまいました。

つまり、今日では「大学に進学するため」には
・学費を出損してくれるパトロン的存在(ex.親)を確保する。
・それが難しい(親がいない、親が貧しい)場合には学生支援機構から借金をしなければならない。
という現状があり、しかも大学を卒業しても就職先が見つからないといわれる今日、人並みの生活をしたいと望むなら「大学に進学したい」と考えるのはある種必然ではないでしょうか。大学に進学することは贅沢でもなんでもなく、人生を生き抜く手段でもあるのです。

つまり、奨学金という教育ローンを借りる上で、学生本人の任意性などは存在せず、「借りざるを得ない」状況に追い込まれ借入している現状があります。それを放置したうえで「自分の意思で借りたのだから返すべきだ」という批判はまったくもって失当であるという考えに至りました。そういう状況を放置しておいて「ブラックリストに登録」など、怒りすら覚えます。


私の所属する同志社大学の法学部では、年間の授業料が約80万円、施設利用料・教育充実費などで約15万円、その他謎の学会費や諸経費を含めると100万円超の費用が掛かります。学業をしながらこれらの費用+生活費を働いて稼げる学生は存在するでしょうか?おそらく「不可能」です。もはや大学は熱意ある学生が学びに来る場所ではなく、学生に教育サービスを提供し、その親から学費という料金を徴収する、ただの営利団体へと堕落してしまったのです。

私は、大学は万人に開かれているべき場所だと確信しています。現状の高額な学費、学生を「学費納入者、コンシュマー」としか見ていない大学、支援機構、そしてそれらを漫然と見過ごし肯定しているこの国の政府や一般人に、デモという機会を通じて私たち学生の怒りをぶつけたい、そう思っています。

同志社大学法学部4年 さねぴー(仮)
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